QE Compass(コンパス)代表 細川哲夫さん
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品質工学などのコンサルタントを手がけるQE Compass(コンパス)代表の細川哲夫氏が2024年6月、「日本製造業復活のための技術開発とマネジメント」(日本規格協会、050・1741・7520)を上梓した。細川氏はリコーをはじめニコン、富士通と大手電機メーカーの技術者として活躍し、ニコンでは磁気データの書き込みと消去を同時に行える光磁気ディスク(MO)を開発。1995年に世界で先駆けてLIMDOW-MO*の量産にも関わるなど、技術立国日本を第一線で引っ張ってきた。技術開発でぶつかった壁を突破する力としてきたのは、優れた指導者たちとの巡り会いから会得した品質工学をはじめとする技法。コンサルタントとして独立後は新たな技法や技術開発プロセス、方針管理を提案し、技術力向上や人材育成の要望に応えている。バブル経済の崩壊後、日本の製造業が世界で後退していく過程もつぶさに観察しており、本著ではその背景や競争力を取り戻すための具体案を提言した。先進の技術開発プロセスやチーム力を強化する必要性を説き、製造業の復活論議に一石を投じる。【2024年11月19日付】
「日本製造業復活のための技術開発とマネジメント」は、トヨタ車体出身でTQM(総合的品質管理)を指導する第一人者の福原證氏、品質管理や品質工学を米国などで教えているコンサルタント・田口伸氏との共著だ。製造業に危機感を抱きメッセージを送りたかった細川氏に両氏が賛同し、実現した。細川氏は「日本の製造業が生き残るには技術開発のプロセスとマネジメントをもう一度見直さないと、日本の企業や製造業は復活できない。どうすればよいのか、課題を明らかにしてポジティブに提言した」と説明する。共著者3人による鼎談とした一章では、日本品質の全盛期を知る福原氏や、米国で進化する品質管理のデザイン・フォー・シックスシグマ(DFSS)の実践に詳しい田口氏らの証言が興味深い。日本が戦後の焼け野原から立ち上がり、高度経済成長でジャパン・アズ・ナンバーワンとなった黄金期から、欧米の反撃や新興国の台頭で「失われた30年」と呼ばれる衰退までを、日米の品質プロフェッショナルが独自の視点から解説している。戦後の日本を統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は通信機器をはじめとする調達で、日本製品の粗悪な品質に困っていた。そこで欧米から持ち込まれたのが、米国統計学者のデミング博士らによる品質管理だった。こうして統計による合理的な品質管理を学び始め、独自に小集団の改善活動で品質も高めた日本企業は、やがて世界を凌駕(りょうが)する。日本の台頭に驚いた欧米は逆に日本の品質管理を真摯に研究し、攻勢に転じる。メード・イン・ジャパンは長続きせず、冷戦崩壊後のグローバル化による労働力の安価な新興国への生産移管や、欧米による製造業のデジタル技術化で競争力を失った。興味深いのは品質管理や技術戦略においては日本と欧米が互いに影響を受けており、謙虚に学んだ方が追いつき技術革新も生み出しているところだ。
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細川氏は「製造業が再生するにはかつて欧米から学んだように、技術開発のプロセスをもう一度学ばなければいけない」と繰り返し強調する。次は日本が再び学ぶ番だが、現実には欧米のデジタル技術や新興国の労働力にますます依存しているのが現実だろう。かつての成功体験のおごりや短期利益を求めるうわべだけの経営の国際化、顧客の利便性からかい離した独りよがりの技術など、日本企業の弊害は指摘されて久しい。お家芸だった品質は差別化が難しくなり、国産のコスト競争力も失った。そこで細川氏は「製造業が世界のトップに立った時から価値を創造しなければならなかったが、それができなかった。新たな技術開発プロセスを構築し、価値を実現する必要がある」と主張する。推奨する一つがDFSSであり、田口氏が説明する3章に詳しい。DFSSは電話機メーカーの米国モトローラが開発した品質管理手法のシックスシグマから、顧客価値を向上する製品開発の手法として発展した。欧米社会は個人主義で、日本流の自発的な小集団活動がなじまなかったため、DFSSは仕組みとしてチームで顧客の潜在ニーズを発想するよう工夫された。潜在的な顧客ニーズの発想を技術開発に落とし込み、品質工学に当たるタグチメソッドなどで設計の最適化や改善を図っている。これは日本固有の優れた企業文化で、技術革新を発揮したチーム力もヒントにされた。米国の製造業で多く導入され、細川氏は「DFSSはイノベーション(革新)を生みやすい」と説く。
DFSSは顧客ニーズを起点とするが、それは単に「顧客の生の声」を求めたり、製品・サービスの性能を高めたりすることではない。そもそも、顧客はほしいものを言葉で表すとは限らないし、性能はよくて当たり前と考える。DFSSは生の声も参照にするが、製品・サービスを利用されるさまざまな場面や、企業が独自に持つ技術から発想する潜在ニーズが重要になる。自ずと独自性を考える過程を踏むので、イノベーションに適する技術開発プロセスとなる。潜在ニーズを具体化する技術の手段を着想できるかが、成功のカギになる。細川氏は「米国企業はチーム力が大事であると日本から学んだ。ならば日本企業も組織力を強めたいのであれば、逆にDFSSから学べる」と指摘する。かつての日本も品質のばらつきを減らすために統計手法と活用し、チーム力で成功した。そこから品質工学や信頼性工学など多様な技法も採り入れ、技術開発プロセスを築いてきた。イノベーションを起こすには、技術開発プロセスも変革が求められている。日本企業は独自に新たな価値を生まないと、フロントランナーに戻ることは難しい。
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ただ、DFSSは技術開発のプロセスに顧客ニーズや技術手段の発想から着手し最適化実験、評価と手順が決まっている。電子機器、デバイス、材料などで現象の実験的な把握から適する技術を発想する必要がある技術開発の場合、顧客ニーズが明確であっても、直ちに技術手段を発想できない。こうした場合でも、技術開発のプロセス(過程)を七つの要素に分け、要素も必要に応じて選択し順番を選び、要素ごとの技法を任意に活用すれば解決できる方法論として細川氏らが提案するのが、「プラットフォーム『T7』」だ。品質工学会と日本品質管理学会が2018年に共同で設立した「商品開発プロセス研究会」の研究成果であり、細川氏を中心とするチームが21年に完成した。プラットフォーム「T7」は技術開発プロセスのプラットフォーム(基盤)を構成する要素として、「目標設定と評価」「概念化」「(サブ)システム考案」「市場の創造」「製品設計情報」「分析」「顧客要求の定義」の七つを設定。まず、技術開発のテーマごとに必要な要素をこの中から任意に選び実施の順番を決める。次に、要素ごとに最も効果的な技法を選択、または技法を使わない判断をする。そして、要素ごとに具体的な計画を詳細に立て実施する。すべての技術開発に汎用的な方法論となる。初めは要素や実施順番のプロセスを固定する考えだったが、技術開発の成功事例を調べるとプロセスは異なっているため、プラットフォームという概念で柔軟に構築できるように改めた。技術開発の手段として重要な品質工学やR-FTA(逆故障の木解析)、公理設計などの技法も、必要に応じ要素に採り入れるよう勧めている。技術開発の途中から活用しても、何が課題であるかの分析や技術開発の進め方の見直しにも有効とする。
プラットフォーム「T7」を有効活用するためには方針管理によるマネジメントが必用であり、これはT7や各技法の活用自体が現場で目的化してしまう弊害を避けられる狙いもある。細川氏は「経営トップが現状打破を目指す新たな経営課題を定め、経営課題を達成するため課題を細分化しながら各組織へと下方展開し、経営課題達成のために各組織で設定した目標を達成する手段としてT7や各技法を選んでいく方針管理が欠かせない。日本では品質工学などがブームの時代にトップダウンで一斉にやっても定着しないのは、方針管理をせず現場に丸投げし技法を使うことが目的となってしまうからだ」と指摘する。「経営課題の達成のための方針管理のマネジメントと日常業務の効率改善のための日常管理のマネジメントを分けることも重要である。日常業務の改善が目的であれば品質工学やT7などの技法や仕組みよりも実験計画法などのSQCが有効なケースも多く、使うツールは技術者が自律的に選択するのが理想である」とも指摘する。細川氏は品質工学の代表的な要素であるパラメータ設計を応用して品質や性能が向上するメカニズムを分析する技法のCS-T法も、独自にリコーで開発している。メカニズムを記述する物性や中間特性などの説明因子間の因果関係を少ない実験回数で把握できるため、パラメータ設計を補い、技術開発の期間を短縮しながら制御因子やシステムの発想力を高めることで,技術開発の成功率向上が期待できるとする。「システムを最適化して限界を知り、技術のメカニズムに迫れば着眼や発想も得やすくなる」(細川氏)。優れた技法をどのように使いこなすかも要点であり、技法の結果には一つの答えや正解というものがない。技術開発プロセスにおける技法は単に改善や最適化でなく、新しい技術の仕組みや発想を生み出すことと強調する。適切な方針管理と技法による発想が、プラットフォーム「T7」活用の両輪をなしている。比較対象のベンチマークとするのはDFSSであり、DFSSを日本版にアレンジし発展させた技術開発プロセスの集大成とする。
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多少の効率化や品質向上であれば現場の日常的な工夫で可能だが、それだけでは世界での熾烈な技術開発に打ち勝つことはできない。技術開発のテーマや年次の目標を明確に定め、有効な技術開発のプロセスを築く経営が求められている。そこから方針管理へと展開し、課題を達成する手段として技法が生かされる。細川氏はプラットフォーム「T7」もDFSSも一つの手段であり、その前に技術開発の目標を明確に設定しなければならない。その課題を設定し組織で解決するには、チームワークが必要なプラットフォーム「T7」が日本に適する」と説く。日本では既存の技術が頭打ちで市場も成熟し、それに変わる技術思考が一段と重要になる。海外や過去の日本のチームワークからも学び、新たな知見も加えた柔軟な技術開発が問われている。細川氏は本著に込めた思いを「日本製造業の競争力再び高め成長の軌道に戻し、『失われた30年』に終止符を打ちたい」と締めくくる。
*LIMDOW-MO(Light Intnsity Modulation Direct Overwrite Magneto-Optical Disk):MOはレーザー光でデータを読み書きする光磁気ディスク。記録媒体の主流だったころのフロッピーディスクに比べ100倍超の記録容量を持ち、持ち運べる大容量記録媒体として90年代に最も普及した。LIMDOW-MOは初期のMOと異なり記録したデータを消去する必要がなく一度に書き込むことができ、記録時間を2分の1と大幅に短縮した。
細川 哲夫氏